幸運頼みの日々は続く

高田志保さんの葉っぱ型の皿。
少量しか入らないので、ダイエットにもってこい。



ブログは書きためていたのだけど、どうもアップする気にならなかった。実はここ一ヶ月は、娯楽も殆どしていない。余りに世の中にはびこる醜聞が多くて、この膨大な社会面のニュースを追う方が大事だなと思い、意識的に時間をそちらに使っていたからだ。ただ、昨日かおとといに五輪開会式がされてしまったので、観念してブログを再開している。


あれだけニュースを追ったのに、この一ヶ月か二ヶ月で私の生活で変わったのは、冷蔵庫の中にある水出し茶のボトルの数くらいだった。お茶だけではなくて、美味しいソースやら簡単なレシピやらをむやみやたらと調べ込んでしまった。家の中で多少ましな生活を続ける位しか、庶民が出来る抵抗はないような気がして。



こちらは近所の和菓子屋さんのコーヒーゼリーぜんざい。
ダイエットとは。



この所、現実に起きた事への自分の理解が追いついていない。


正確には、何が起こっているか正確に理解しては居るのだけれど、自分がいるのがこんな酷い世の中だ、と認めたくない、という所だろうか。
何より、この現実の一端に『まあ世の中は世の中、自分は自分』と、社会から一歩離れて現実にこれまで片目を瞑ってきた自分の責任が確かにある、というのが、結構きつい。


選挙も行った。仕事に行き、税金も納めている。去年からずっと、休日は街に出ずに家に居る。好きなサウナも食べ歩きもしていない。家族の健康に気を遣い、近所のお店にお金を落とし、通販で経済を回す。でも、多分、それだけでは足りないのだ。全然。


思い詰めすぎるのも体に毒なので、美味しいお茶を飲んで意識を逃がす。


お茶を飲んでいる瞬間だけは平和。



都内の病床は罹患者の方で今までにないスピードで埋まってきているようだ。私自身がここまでコロナに掛からなかったのは、単なる幸運でしかない。


せめて、その幸運に感謝しつつ、何か名案が浮かぶまで現実を咀嚼しよう。その為に言葉があり、生活がある。まだそんな風に信じてみようと思う。

コメント