近所のギャラリー支援に、と購入した湯呑。
6月になった。1日から東京の街は、感染症の事を忘れたように開き始めた。無理もない。もう、自粛も限界なのだ。
通販でわずかばかり支援していた近くのギャラリーを訪ねると、『40日間も、閉めてたんです』と店主の方が目を落とす。ほの暗い中で、誰かの体液が混じった水に、集団で浸かっているような気分だ。
大分前からテレビをつけなくなったが、スマホを見ればニュースは嫌でも目に入る。オリンピックが来る、来ない。オリンピックを呼んだんだから開催しか無い。こんな中でやるなんて無理に決まってる。目に入らなくても考える。でも、検査は?隔離は?経済は?今まで出来ていなかった事が、いきなり出来るのか?いやだって、スペイン風邪の時もアントワープ五輪をやったじゃないか、と昨日あたり利権屋が吠えたらしい。ワクチンだって結構なペースで打ってるし(これだけはありがたい、本当に)。
そんなごたごた、グダグダの中で今日、JOCの経理部長さんが電車に飛び込んで亡くなってしまった。
余りにも酷い。
私はこんな所でお茶を飲んでる場合じゃ無いのではないか。ここ数週間、書いても余りブログを更新する気が進まなかったのは、今ははっきりそう思っているからだ。
エゴかも知れないが、仕事の合間にお茶を飲んで過ごせる生活を、私は捨てないでいたい。ただ。何だ、この状況は、とは思う。この一年、ひたすら自粛して、友達にも会わず、映画も行かず、ジムもサウナも行かず、地元の商店街にお金を落とし続けて、それで、来た未来がここだ。一体、どういう事なんだ。
明日も仕事に行くけれど、今は亡くなった方を悼む。今日の訃報は理不尽すぎる。
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