何とかやるさ(にゃじるし)
これはひょんな事から傘を差し出され、お返しに緑茶をお渡しして喜ばれた話である。
昭和ならなんてことの無い日常だったかも知れないが、物心ついた時には殺伐とした平成だった私にとってはちょっとない出来事だった。なので、備忘録として書き留めておく。こういう事を覚えていると、振り返った時に人生が楽しくなりそうなので。
4月の土曜のことだ。その日天気が悪くなるのは知っていたが、外に出るのが億劫だったので、いつも通り仕事で疲れた体を引きずって夕方近くまでダラダラしていた。さあ表に出るぞ、という所で、傘を会社に忘れた事を思い出した。まあ少し濡れてもいいやとスニーカーを履き、いつもの茶屋に顔を出し、新茶を仕入れたところでぱらぱらと雨に降られてしまった。
あーあ、やっぱりな、コンビニで傘でも買うか…と歩いていると、横から声を掛けられた。
「ちょっと、ちょっとそこのお姉さん!」
…ん、私か?と振り向くと、マンションのひさしに小柄な女性が突っ立っていた。
孫の授業参観の帰りかな、と見まごうようなピンクの口紅に、千鳥格子のジャケットを羽織っている。誰かと間違えたのかな、とあたりを見回す前に、女性は『カッ!』という感じで目を見開き、次にやんわりと口を開けた。
「ちょっともう、あーた、濡れちゃうわよ。これ持ってきなさい、傘。いいから」
そう言って軒先で乾かしていた、ご自身のものらしい傘を押しつけてくる。
有無を言わさない勢い、とはこの事だ。
「あ、あの、ありがとうございます…え、何かすみません」
正直、驚きが先に来てしまった。だってこのおばあちゃんにとっては、私は通りすがりの他人なのだから。遅れてじわじわと嬉しさが込み上げてくる。
人の親切は嬉しい。
せめて、お返しできるものがあるかな、と瞬時に頭を働かせて、さっき新茶を仕入れた事に気付いた。咄嗟に差し出すと、おばあちゃんの顔がぱっと輝いた。
「あら、いいの!お茶、大好き」
これが又、何とも満面の喜び方で、こちらが照れてしまう位である。
「あ、はい、さっき買ったばっかりなんで良かったら」
「まーありがと、いいのこんな、でも見るからに美味しそうねこれ、貰っちゃっていいの、いいの!まあ~ありがとう~」
こんな感じで、おばあちゃんは緑茶を、私は傘を片手に振りながらお別れした。
目的地の肉屋についたあたりで、ふと、あの女性はあの年齢まで親切で居続けたんだな、と思った。長生きしていれば親切に親切が返ってこない事もあっただろうに、道行く他人に傘を差し出す心を手放さないで来たのだ。
用を済ませると急に雨脚が強くなって、おばあちゃんの傘に助けられながら帰った。
差し上げた緑茶のパッケージを見た時の、嬉しそうな顔が忘れられない。美味しく飲んで頂いていると良いなあ。
よき…(にゃじるし)
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