現代人と緑茶、或いは繁忙期の世迷い言

上島珈琲店のサンドイッチ。大変美味しかったです(はりねずみ)
うわ。上島珈琲店、職場近くにあるんだけど、出来るだけ外に出てないから
まだお店が存在してるのかすら把握できてないって事に気付いた…(にゃじるし)



緑茶を飲んでいると、大袈裟にいえば自分が人間だった事を思い出す。


まず温かいのでふっと感覚が戻って。美味しいのが気持ちを落ち着けてくれて。一煎、二煎と飲むと、ある程度ぼーっとして、いい具合に気が抜ける。仕事、仕事、家事、企画、みたいな日常が、一瞬体から離れるのだ。

 

ところで、ご存じでしょうか。あんまり素に戻ると、社会の生産性の強制と形式主義のダブルスタンダードしぐさに合わせるのが、心の底から馬鹿馬鹿しくなってしまう事を。多分、だからまだ緑茶は日本に於いていまいち流行らないのではないかと思う。人間的感覚が戻ると、もれなくまともな理性も戻ってしまうのだ。

 

だって、本当に肩の力抜いて正気になったらですよ、コロナ禍の東京で会社なんか行けないですって。感染するの怖いし、自分が無症状感染者で誰かに感染させるのも、怖いし。

 

そんな事をなるべく考えないようにして、3月末の繁忙期を乗り切った。乗り越えた後は疲れ切って、ブログを書く気力が戻るのに一週間強かかった。忙しい間も緑茶は飲んでいたが、改めて痛感した。現代人の生活に、緑茶は心底合わない。組織で働き出したが最後時間が際限なく取られる、というのもあるけれど、もっと切実なのは、上記の『気を抜いたが最後、辛い現実を直視してしまう』という事が大きいように思う。

 

一度だけ、家で愛飲している実力派の茶農家の緑茶を水筒に詰めて職場に持って行った時、それを実感した。オフィスで飲むには、美味しいお茶は、人を人に戻す力が強すぎるのだ。

 

人間に戻ってしまうと、素朴な疑問がわいてくる。コロナ対策以外にも、それはもう、ずらずらと。

 

慌てて美味しい緑茶を飲み干して、正気の自分をぐいっと心臓の底に幽閉して仕事に戻った。これが大人だとか社会人だとかいう垢のついた嘘を、繰り返し頭に流し込みながら。

 

現実を見つめるのは、感情と余裕のある人間にしか出来ない。緑茶は現実の忙しさで何もかもに蓋をする現代人を、一瞬で人間に戻してしまう劇薬なのかも知れない。

 

ともあれ、繁忙期が終わって良かった。心置きなくお茶をしばける。頼むぞ緑茶、私を人間に戻してくれ。何度でも。

 

追伸:現実を余り見つめないでも出来る私の今の仕事、もしかしたら現実じゃないのかもなぁ苦笑。


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