美味しいといっても色々ある。ジャンクフードの分かりやすい美味しさと、ちょっと背伸びして入るお店の綾なる美味しさは、やはり違う。個人的経験からの思い込みで、今まで、『分かりやすい美味しさ』は日常(褻)、『複雑な美味しさ』は非日常(晴れ)であり、両者は混じらない、と考えていた。
しかし、どうやらそれは完全に間違っていたらしい。
非日常の一つであった『複雑な美味しさ』は、2,000円弱の茶葉を購入しただけでいつもの湯呑みに顕現してしまった。いや、参った。
というわけで、今日は少しだけ高い茶葉を頂いて、美味しく混乱した話。
今日ご紹介するのは『前田幸太郎商店』の『夢見茶』である。茶商を営む前田文夫茶師はその腕が規格外すぎて茶業界の資格等級ランクを増やしてしまったという、利き茶の達人だそうだ。それは美味しい緑茶を売っているだろうと思いながらうきうきと購入した。
届いたお茶は確かに美味しかった。完成度が高く、そして複雑である。
ブレンドされた風味が自然体すぎて、味の因数分解が出来ないのである。
辛うじて取れた味はメロン、ハイビスカス、菜種油、カカオマス。もっと何かいる、何かいるんだけど表現できない、というのを何杯もやって、夫が先に『これはもう、美味しいお茶だよ、味を見定めることが無意味だって』と匙を投げた。お茶単品で飲んでも美味しいが、和菓子と合わせても、食事と合わせても主張しすぎないのが凄い。非凡な粋を持ちながら、しっかり日常に寄り添う。美しい職人芸のなせる味である。
コロナ禍で家で過ごす時間が増え、非日常の刺激がぐっと無くなってしまって久しい。そんな中、このお茶を飲んで、本当に久しぶりに誰かの才気を嗅いだ気がした。
多分、私が『非日常』と勝手にレッテルを貼っていた『複雑な美味しさ』は、誰かの一手間の結果なのだ。簡単にはなし得ない誰かの『日常』の努力の結果が、曰く言いがたい美味しさに変化しているだけなのだ。実際、前田茶師は上級茶の仕上げを手作業でされていらっしゃるという。他にも見えない努力が沢山あるのだろうと思われるが、お茶の味は明るくほの甘い。
するすると美味しく飲んでしまったものの、素人が味わいきれたとはとても思えない銘茶でした。その内きっとリベンジします。ご馳走様でした。
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